豊川浴泉の坂巡り

 目白通りに不忍通りが突き当たるところに小布施坂(こぶせざか)という細い階段の坂がある。坂上に立つと新宿の高層ビル群が見えるが、「五十年間上り下りしてるけど、ここから見る風景はまったく変わってしまった。変わらないのは坂上の公園の緑だけ」と、通りがかったおばちゃんが言う。ただ、もう一つ変わらないものがある、坂下に鎮座する豊川浴泉だ。
 「昔はね、目白御殿って言われた。銭湯の中でも造りがいいから。天井は格天井、寺院造りだね」と、御年八十七歳の二代目・岡嶋三郎さん。「建てた昭和24年頃は、この辺りはまだ焼け野原。夜暗いから、うちの灯光塔から道路を照らして、足元を明るくしてあげたんだ」の言葉通り、当時の庶民に癒しと希望の灯をともしたことは想像に難くない。 坂の名は、明治時代に株式の売買で財をなした小布施新三郎という人の屋敷が坂上にあったことから。「小布施家は、この辺り一帯の地主でね、戦争中は国に戦闘機を寄付するほどの有力者だった。ここの土地を買うときも、兜町にあった小布施さんの証券会社に権利証を取りに行った」と三郎さん。
 帰りは一本西側、日無坂という、これまた乙な階段の坂を上って帰ろう。豊島区との区境となるごくせまい道で、両側の枝葉で日光もささなかったことからこの名が付いた。実によく合う取り合わせの坂と銭湯。今巡っておかないと一生後悔しそう。